-十年の沈黙ののちに-
1月10日(火)-21日(土)
11:00-19:00 日曜休廊 (1階のみ17:00まで)
鴫 剛 新作展にあたって
2001年10月の西村画廊での個展以来、10年間もの長い間個展で作品を発表していなかった鴫 剛(シギ・ゴウ)が沈黙を破り、新作を発表する。なぜ今、沈黙が破られたか、どのような経緯があったか、それには確かな理由があった。
鴫は長きにわたって、女子美術大学で美術教育に携わり、付属の高等学校・中学校の校長もつとめた。2010年に長年の画業と教育への功績に対して紺綬褒章が授与された。しかし、その職歴の終わりの頃に一時健康をこわした画家・鴫の脳裡にはさまざまの形にならぬ思いがよぎっていたという。
鴫 剛の名が世に広く知られ記憶されたのは、1970年代の「団地」シリーズである。日本におけるスーパーリアリスムの先駆者であり、今も代表的存在である。その手法は写真と密接に関係するが、社会に対する鴫の鋭い問題意識がコンセプトを支えている。
2012年初頭の新作個展が新たな場所で企画され、脳裡にある形にならぬ思いを形にすべく鴫は動き出した。この時代、この時点で画家は何を描くべきだろうか。足は東京のど真ん中へ、そして自然と国会の周辺に向かっていった。折しも長年の自民党体制から民主党が政権を握り、ひどく不穏な混沌が生じていた。
その形にならなかった思いが、突然画家の脳裡に形になって現れた。
きっかけは2011年3月11日の東北大震災である。想像を絶する大津波、安全神話を覆した原発事故の恐怖の収まらぬ中のある日、鴫は不思議な光景を見た。その光景が画家に描かずにいられない、“コンセプト”を超えた力を与えた。
鴫は語る―「描画のための写真は、確かにきっかけにはなるが、今回の経験は全く異なっている。目と場面と手がいっぺんに、本能に突き動かされて動き出した。いわば経験値によってインテリジェンスが動き出す結晶性知能とでもいうべきものが働き出したようだ。」また、ピカソの逸話にふれながら「資質は戦略を超えると以前きいたことがあるが、経験がコンセプトを超えるともいえる。今、新しい知性を生み出す脳がまだ自分にもあるぞ、と感じている」と。 (ガレリア・グラフィカ)
作家コメント
大地震・大津波・原発事故、そして世界各地の自然大災と政治・経済に起因する社会紛争…….etc. 2011年と言う年はなんとも天災・人災・大厄災の大変な年になってしまった。
この衝撃で絵が全く描けなくなった作家の話を良く耳にする。
また一方では義捐金募集やボランティア活動に励むアーチスト達やその機関の存在も知らされる。
そして機能不全を起している日本の国会がこんなに多くテレビ映像として流されたこともかつて無い。
私はそんな国会議事堂周辺や都心を写真取材していたのだが、ある日、噴水公園で吹き上げる噴水の合間に輝く太陽を見た。それは古代の人達が屹度、畏敬と希望をもて感じたであろうと想う人智を超越した体験であった……
それまで、すっかり気が萎えていた私はその時、“喩え、明日の世界が無くなろうとも、今、私は私の絵を描こう”と言う気持ちに成っていた。 (鴫 剛・2011年12月)
〈REQUIEM〉 2011年 油彩、キャンバス 455×530mm
〈KOKKAI B〉 2011年 鉛筆、紙 230×340mm
鴫 剛 略歴 | |
1943年 | 東京都生まれ |
1966年 | 東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業 |
1968年 | 東京芸術大学大学院美術研究科修了(修了作品買上げ) |
1976-77年 | ボルフスブルグ市美術館の招待作家として西ドイツにて研修 |
1980-90年 | 滋賀大学教授(教育学部文部教官教授) |
1997年- | 女子美術大学教授(絵画学科洋画専攻) |
1999年- | 女子美術大学大学院美術研究科教授(洋画領域) |
1999年- 01年 | 女子美術大学美術資料館長 |
2002年- 04年 | 女子美術大学美術館館長 |
2008年- | 女子美術大学付属高等学校・中学校校長 |
2009年5月 | 女子美術大学大学退職 |
2010年7月 | 紺綬褒章授章 |
主な制作活動 | |
1974年 | 第11回日本国際美術展 東京ビエンナーレ’74 (東京都美術館、京都市美術館) 第9回ジャパン・アート・フェスティバル展 文部大臣賞 (東京セントラル美術館、海外巡回) |
1975・76年 | 第11・12回現代日本美術展 (東京都美術館、京都市美術館) |
1978年 | 第12回日本国際美術展 東京都美術館賞 (東京都美術館、京都市美術館) 写真と絵画-その相似と相異 (東京都美術館企画特別展) |
1983年 | 現代のリアリズム (埼玉県立近代美術館) |
1984年 | 現代絵画の20年 (群馬県立近代美術館) |
1985年 | 日本現代絵画展 (ニューデリー国立美術館、インド) |
1986年 | 日本現代美術展 (台北市立美術館、台湾) |
1987年 | 第3回富山国際現代美術展 (富山県立近代美術館) |
1988年 | 東京-ベルリン現代美術交流展 (朝日新聞社主催) 個展 ギャラリーエヴァ・ポル (ベルリン) |
1989年 | 広島・ヒロシマ・HIROSHIMA (広島市現代美術館) アート・エキサイティング’89 (クイーンズランド アートギャラリー、オーストラリア) |
1993年 | 第36回安井賞展 佳作賞 (セゾン美術館、浜松市美術館他巡回) |
1995年 | 戦後文化の軌跡1945?1995 (朝日新聞社主催、目黒区美術館他巡回) |
2002年 | 東日本の美-山展 (財団法人東日本鉄道文化財団、東京ステーションギャラリー) |
2003年 | 鴫 剛 もう一つの眼差し (大阪、国立国際美術館) |
2004年 | イメージの水位 (豊田市美術館) |
2008年 | Dome (広島市現代美術館) |
他に個展多数 | |
パブリックコレクション | |
国立国際美術館 東京都現代美術館 神奈川県立近代美術館 埼玉県立近代美術館 | |
栃木県立美術館 広島市現代美術館 和歌山県立近代美術館 富山県立近代美術館 | |
高知県立美術館 いわき市美術館 女子美術大学美術館 東京藝術大学美術館 | |
川口現代美術館 高松市美術館 平塚市美術館 東日本鉄道文化財団 | |
藤沢市医療保険センター 日本航空文化事業センター ボルスブルグ市美術館(ドイツ) | |
全国主要美術館他に、多数作品収蔵 | |